長戸大幸さん × 平澤創 [対談]

STUDIO BIRDMAN
「スタジオ作らなくちゃまずい、どうしても作りたい、って。あの頃が一番辛かったですね。でも、あれができてからだいぶ変わっていったかな。」(長戸大幸氏談)

フェイス25周年記念Webサイトスペシャル対談企画 最終回【後編】

~大阪市・GIZA 社長室にて~
前編はこちら >>

いろいろ興味を持ってやってただけ。
こんなに成功するとは思っていなかった。
長戸大幸さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創

常にジグソーパズルの欠けたピースを
いくつも同時に作って箱に入れ、
ある時パッと箱を開くとパーツが揃っている。
平澤 創(以後 平澤)
音にも時代があるという話も聞いたことあります。
長戸大幸さん(以後 長戸)
うん。同じ音楽もやっぱり「頭上がりサビ下がり」「頭上がりサビ上がり」「頭下がりサビ下がり」とか、だいたい5年に1回、変わるんですよ。例えば、「あー、わたしの恋は~♪」って上がりメロディでヒットしていた松田聖子が2年半後くらいには、「風立ちぬ~、今はもう秋♪」って下がるんですよね。大半の人は、上がり流行りをそのままやっているんで、2年半後には落ちるんです。
>長戸大幸さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
平澤
なるほど。それを読めっていうこと。
長戸
TUBEを作った時、チェッカーズの「涙のリクエスト~、最後のリクエスト~♪」ってだんだん上がっていっていたのに合わせて「ベストセラー・サマー」ってやったんだけど、ちょっと遅かった。それで「よし、下がりメロディだ」っていうことで、織田哲郎と作ったのが「ストップ・ザ・シーズン・イン・ザ・サ~ン、心潤してくれ~♪」と。
平澤
ああ、なるほど。
長戸
その5年前は、ちょうど「曇りガラスの向こうは風の街♪」って下がりメロディだったのね。
平澤
なるほど。
長戸
下がりメロディの時代だから、「ピ~ヒャラ、ピ~ヒャラ、おどるポンポコリン♪」って全部下がるように必死で作ったの。加えて言うなら、下がりメロは、相対的に大ヒット曲が出るんです。ただ、大ヒット曲は出るけど、ヒット曲は少ない。上がりメロの時はヒット曲は多いけど、大ヒット曲は出ない。
平澤
そうなんですね。
長戸
それから、母音の流れもある。「あ」が入る時と「い」が入る時と「う」「え」「お」が入る時があるんですよ。ZARDの「君がいない」が売れた時はやっぱり「い」が入った時なんですよね。
平澤
「い」が入った時?
長戸
「君がいない」、あれが「あなたがいない」ではダメなの。「あなた」は「あ」だから。「君」は「い」。そういうのは当時はこだわってましたね。それで上がりメロディの時は、ピアノ、ジャンって。ベースのダンダンダン、っていうんですよ。下がり目の時は、ピアノは上からこうで、ギターは下から、ベースもダダダン、ダダダンって下がる。そこまでこだわっていましたよ。
平澤
結構、すごいですよね。
長戸
めちゃこだわってた。
平澤
ビーイングが大ヒットを連発していたすごい時っていうのは、僕が大学時代にお世話になっていたビーイングへの就職を選ばず、任天堂に入社した年が大ブレイクの年だったと思うんです。あの境目の時期には何があったんですか。実際、音楽業界をあの時、大きく変えましたよね。売り方とか従来とは全然違ったじゃないですか。あれはどういう背景があったのか、その辺りのストーリー知りたいのですが。
長戸
いや別に、何ていうんだろう。音楽を「アート」と捉える人と「職場」と捉える人がいて、そこの狭間をうまく「アートと見せて職場だ」とした感じですよね。まあ、僕は職場として作っているんだけど、表向きはアートという立場でやってたから。
平澤
職場と思っていたんですか。
長戸
多分、うちの連中、みんな職場だと思っていたのでは。
平澤
確かに。「Music Factory」って書いてありましたもんね。
長戸
昔ね。
平澤
すごくわかる気がする。確かに職場ですよね。今は書いていないんですか。
長戸
いや、どうかわかんない。10年以上前に代表も譲ってるし。まあ、僕は最初から、吉田拓郎に会いに来た時から、音楽に関してはアートという意識はないので。
平澤
うーん。なるほど。
長戸
商売でもないんですけどね。目的に応じてですよ。
平澤
例えば、ネーミングの付け方とか、曲の作り方だけじゃなくて、TUBEで言うと、湘南で「SomeTime」とか、タバコと組み合わせたり、立体的に作っていらっしゃったじゃないですか。ああいう考え方って、当時はあまりなかったんじゃないかなって思うんですけど。
長戸
TUBEは当初、夏バンドだったんだけど、メンバーたちが若かったこともあって、「夏バンドやめて、ロックバンドやりたい」って言ってきたんですよ。それで、「わかった。ロックバンドやりなさい。その代わりに夏バンドを俺にやらせてくれ、参加してよ」って「渚のオールスターズ」を作ったの。
平澤
あった、あった、あった。
長戸
たまたま俺の周りにいた近藤房之助とか、坪倉唯子(ともに後のB.B.クイーンズ)とか、あとはソニーと契約してた織田哲郎とか、ついでに暇だったかまやつひろしさんとかも入れて「渚のオールスターズ」を作ったら売れたんですよ。
平澤
なるほど。
長戸
そうしたら前田もさすがに、夏オペに戻りたいって言うんで、夏に戻るなら、「浴衣着て、盆踊りの踊り方の絵をちゃんとレコードに入れろ」って条件を出してね。子供の頃、そういうのあったでしょ。それで「やります」っていうことで、吉田拓郎の「夏休み」のタイトルを持ってきて、「あー、夏休み」でやった、と。
平澤
いや、吉田拓郎さんを持ってきてっていうところが面白い(笑)。
長戸
いやもう、拓郎の歌詞は全部覚えているんで(笑)。TUBEが戻ってきて、ソニーが「渚のオールスターズ」を降りて、近藤と坪倉と栗林(誠一郎)の行き場がなくなったのを、BGMビクターに持っていって、作ったのが「おどるポンポコリン」。
平澤
うーん。どうしてあれだけうまくつながっていくか、僕の中でまだ解明できないんですよね。偶然性もあるけど、何か箱が用意されているんですかね。ここまでの話、ジグゾーパズルの欠けたピースをいくつも同時に作ってるんですよ。それでその箱をパカッとあけたら、ああ、これはここに合う、これはそこだ、みたいな。
長戸
そうそう、そういう感じ。今でもそうですよ。おっしゃる通り。あのね、ポンポコリン、実はね、栗林誠一郎がリードボーカルだったんですよ。栗林はZARDの作曲をやっていた男で、TUBEのベーシストが抜けた1年間、代わりに弾いていたんだけど、彼、歌がうまくて。
平澤
そうなんですか。
長戸
それでオケも全部作った。ところが、明後日、明々後日くらいにレコーディングだっていうのに、本人が捕まらないんですよ。
平澤
どこに行ってたんですか。
長戸
当時は携帯がないからね。何回も家まで行って張り紙したりして、それでも全然連絡ない。あとでわかったんだけど、あいつ、海外に行ってたの。当日を迎えて、近藤と坪倉しかいないから「しょうがない、どっちか歌え」ってなって。でも近藤はキーが高すぎて歌いにくいし、坪倉は低すぎるって。じゃあ、どうしようかなって。そこで回転落として、坪倉に「おらは死んじまっただー」みたいのあるだろうっていって、「な~んでも~か~んでも~みんな~」みたいにゆっくり歌わせて。それを早送りすると、「なんでもかんでもみんなー」になる。それで難を逃れたんですよ。それが結局・・・
平澤
奏功したっていうことですよね。
長戸
近藤もそこで「Oh, yeah」とか。
平澤
言っとけ、みたいな。ああ、なるほど。
長戸
あれは本当に怪我の功名もいいところですよ。だから、準備していたことが、たまたまブレイクしたんだと思うよ。
潜在能力は誰にでもある。
僕はきっかけのタネを蒔いただけ。
長戸
だけどあの頃、あまりにもブレイクして、遂に冷蔵庫の中が空になっちゃった。もうやることがなくなったうえに、大ヒットして売れている時っていうのは一番楽しくないんですよ。人からはすごいねって言われながら、何にも面白くない。みんなから嫉妬されてね。スケジュールは半年後まで目一杯。その半年後まで目一杯なのに、自分が会いたい人じゃない、向こうが会いたいっていう人なの。俺が会いたい人と会うためのスケジュールはまったくない。
平澤
うーむ、なるほど。わかります。
長戸
それで、こんな生活してたら、ちょっと音楽もできない、何もできないっていうんで、「辞めてやれ」って、20数年前を思い出して、また全部捨てて、今度は関西だって、関西に行ったの。それが1993年かな。
平澤
なるほど。
長戸
それで最初は京都に行ってマンション買ったり、北山に土地買ったりしたんだけど、京都はやっぱりつまらない。
平澤
へぇ(笑)。
長戸
それで「やっぱり大阪だ」って、梅田の茶屋町に行ったけど、やっぱり面白くない。ところが、アメ村(アメリカ村・西心斎橋)にきたら面白かった。アメ村は、若い世代に流行ってきていたんで、もう少し中年に受け入れられるものがないかなと思って。土日も流行る場所を作ろうということで、1階はショップ、地下と2階がレストランとバー、3・4・5階がSOHOの事務所兼住居、そこから上がワンルームマンション、それから上の3フロアくらいがファミリータイプのマンションを始めたら、やっぱり当たって。
平澤
なるほど。会社の運営にも、いろんな企画にも全部通じることだと思うんですけど、何か作ろうと思って、何か用意しても、いいものはできない気がするんですよね。社長の頭の中っていろんなものが同時並行で積み上がりつつあって、だめなものはそのままかもしれないし、どこかの引き出しに入っているかもしれない。
長戸大幸さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
長戸
まあ、おっしゃる通り。去年から急にね、また、そういう感じのパーツでね。50代、60代は、煩悩を全うしようとか、家族を作るだとか、別荘作るとか目的で生きていたんで、70歳になったのを機に音楽業界でお礼参りじゃないけど。
平澤
お礼参りって(笑)。
長戸
いやいや、お礼参りっていう言い方は悪いけど、儲けさせてもらった恩返しも含めて、本当の意味でのお礼参り。一応、自分としては「ベッドじゃ死なねぇぞ、スタジオで死んでやる」っていうコンセプトなんですよ。
平澤
いやー、その話、この間も聞きましたけど、すごく素敵ですよ。
長戸
だからそういう。
平澤
でもお礼参りとか言いながら、また儲けようと思っているでしょ。
長戸
いやいや。えらい金を使って、5年くらい思い切り振ってやろうと。
平澤
(笑)。
長戸
まあ、それだけの金がなくなるから、当たればホームラン、失敗したら大ファール。もういっぺん最後のご奉公で。
平澤
先日もその話を伺って本当に勉強になったんですけど、今の音楽業界って当時とずいぶん違いますよね。今の音楽業界をどう見ていらっしゃいますか。
長戸
僕はやっぱり、最終的にはコンテンツだと思うんですよ。
平澤
うん。
長戸
だから、CDだ、動画サイトだ、レコードだ、カセットだっていうのはあくまでもツールの話であってね。基本的には音楽というものとユーザーというものの間に存在するものがあるというだけ。音楽を正しく作っている者とユーザーをどこで結びつけるかっていうところが、みんなの悩みどころなんだろうけど、僕はまず3,000人、5,000人のパワーを本当に作れたら、あっというまに火が点くと思うんですよ。
平澤
はい。
長戸
だから1億人に対しての音楽ではなくて、まず3,000人、5,000人を捕まえるべきだ、と思っている。
平澤
これは前からしている話でもあるんですけど、今のレコード会社や事務所の人たち、ライブハウスに行って、誰か見つけてきて、ちょっとお化粧して、デビューさせるみたいな、そういうのが非常に多い気がするんですね。
長戸
うん。僕、昔、洋服屋やっていたからすごくわかるんだけどね、大概の洋服屋ってそうなんですよ。韓国にでもいって海外で洋服を買ってきて、それを売る、とか、海外のブランドと契約してそれを売る、とか。それはそれで一つの形だと思うんだけど、僕の場合はテキスタイルといって、最初に白生地から染めて、それを帽子にも使い、ジャケットにも使いっていうことを、洋服屋の時にやっていたので、音楽の作り方もそれに近いですよ、意識は。当然、あるものを探してくるっていう力もある意味、正しいと思うんだけど、僕にはその力があまりないっていうか面倒臭い。それよりも作った方が早い。こんなカバンで、こんなターバンで、こんな襟をこういう風にしてっていう服を探しにいくよりも、さっさと自分でミシンの前で縫った方が早いという考え。他の人とはちょっと違うかもしれないですけどね。
平澤
コンテンツ力という意味においていうと、それが正解だと思いますけどね。それで、多分、アイドルグループとかもそういう作り方するケースがあるけど、バンドという括りで考えると、やっぱり本人そのもののクリエイティビティがすごく高かったりするじゃないですか、アーティストって。だから、その化学反応もちょっと使っていらっしゃる気がする。
長戸
こんなこと言ったらおかしいかもしれないけど、結局、今いるメンバーたちもそうだけど、黙ってたら集まるようなタイプじゃないですよ、みんな。
平澤
すごいわかる。
長戸
もともと潜在能力はみんな持ってて、そこに僕がああだこうだ言うからやったわけで。まあ言っちゃ悪いけど、俺が20歳の時に「ボーカルやれ」って言われたら、もう少しボーカルレッスンをして才能を出していたかもしれない。
平澤
(笑)。
長戸
いやいや、だってみんなそうでしょ。
平澤
いや本当。でも、言われてもそうは思わない若者もいた。
長戸
思わない若者とは一緒にやってません。っていうか、来ないし。来ても、離れていくし。ただ、少数だけどそう思う人がいるんですよ。
平澤
なるほど。確かに、前半で伺ったメンバーを脱退させないための話とか、妹尾さんのレコード作るときの話とかにもありましたけど、一人だったら難しいけど、組み合わせだったらすごくいいとか、何かを新たに引き出してあげるとか、そういったことがプロデュースするってことなのかなとすごく思うんですけどね。
長戸
全部自分で作り上げるんじゃなくて、タネの掛け合わせまではするけど、そのまま放っておいたら育っているっていう。植物もそうだけど、確かにタネを植えないと育たないけど、何が育てるかっていったら、サンシャインだったり、水だったり、本人の力量だったりするわけです。だから僕は基本的にきっかけは作ったけど、途中からは本人たちが頑張ってやるから色々なことができるわけで、本当に僕が全部やるんだったら一つのバンドしかできないはずですよ。あとはもう本人たちの力ですよ。
平澤
今となっては、長戸大幸さんという人は本物のレジェンドなんですけど。
長戸
いえいえ。
一般的に言うところの何でもできる有能な人なんていない。
平澤
僕が社長と最初にお会いしたのは、19歳か20歳の時、大阪のヒルトンホテル、バッドオーディションの時です。僕は「ちょっと別枠だ、とりあえず東京こい」って言われたんです。
長戸
なんかうっすら覚えているような気がします。
平澤
結局僕は、ビーイングを離れて、任天堂へ行って、フェイスを作って、今に至るので、さっきの話からすると多分「離れていった者」だと思うんですけど(笑)。でも、今日のお話聞いていると、ものすごい失礼かもしれないですけど、社長と僕は考え方が近い。だからこそ部分部分で、もしかしたら反発していたのかもしれない。
長戸
多分、そうでしょ。だから別に、私に限らずそういう人は、世の中にいっぱいいて、そういう人たちは別々にやった方がいいんですよ。
平澤
うーん。いや、でもね、ずいぶんご無沙汰してお会いした際、社長に「辞めてよかったよな」って言われたんですよ(笑)。
長戸
だって、多分そうでしょ。
平澤
いや、でもそれってめちゃめちゃ嬉しいような、なんかがっかりのような気もして。
長戸
だから会社の組織もそうだけど、一般的に言うところの有能な人なんていないんですよ。違う意味での有能な人たち。要するに管理者としては有能な人たち。何ていうのかな、うまく言えないけど、トップにいる人の「影や傘」の中で動くのは巧みだけど、傘の影の外に出て動く人はあまりいないですから。
平澤
まあ、それはおっしゃっていること、すごくよくわかります。
長戸
わかるでしょ。だから、「影」の外で動きたい人は、私とやる必要はないと思う。
平澤
まあ、それは能力があるとかないとか関係なく。
長戸
組織として動く以上は、基本的に「影の中で」何をやるかっていうことが大事なわけです。多分、他の会社もそうだと思うんだけど。ただそれが、サラリーマン社会でなぜ機能しない人がいるかっていうと、影の中にいるんだけど、営業でNo.1になった人が、営業部長とかの管理者になるでしょ。でも、「営業でNo.1」になる人は「営業部長の能力」とは違うわけですよ。最初から営業部長に向いている人が営業部長なればいいのに、営業でNo.1になった人が営業部長になるからうまくいかない。
平澤
野球でも何でもそうですよね。プレーヤーでNo.1になった人が監督に向いているとは限らない。
長戸
そうそう。それと同じ。得意なところから剥がされるから、何をするにも無気力な管理職になっていく。
平澤
あの時は輝いていたみたいな。
長戸
無気力でかつ戦わない、燃えない、そういった人たちになっていく。そうしたら会社が死んでいくわけですよ。組織というものはそう。だから営業マンは最後まで営業マン、営業部長は最初から営業部長でいるべきだと思う。
平澤
いや、そう思います。フェイス・グループ、日本コロムビアの中を見ても、ある意味、今、社長がおっしゃったとおりです。
長戸
昔、日本コロムビアにも制作ディレクターの時、本当にめちゃくちゃ優秀だった方たちがいらっしゃったんですよ。みなさん譜面にも強かったし、いろんな音楽も知っていたし。流石だなって思っていた人たち、ただ管理職になると現場に現れなくなるんですよね。それであの人たち何してんの?っていう。結局、管理職になることによって、彼らのせっかくよかったものが消えていっちゃっている。
平澤
そういう状況は良くないですよね。
長戸
モチベーションも下がるじゃないですか。だから、いわゆる組織作りはやっぱりちょっと考えないとまずいなとは思いますよ。
平澤
そうなんですよ。クリエイティブな環境ってあまり数字に追われるときついですよね。だから日本コロムビアはフェイス・グループになってから上場もやめたし、今は100%子会社にしたし。
長戸
うん。
平澤
それ以前に最近の音楽、全体的にレベルが下がっている気がするんですね。
長戸
何のレベルかっていう話にもなるかと思うけど、もうJBL(世界有数の音響機器メーカー)も無いようなものだし、いちいちスピーカーで、真空管のアンプで聴くってこだわってないから、音質っていう意味では下がっていると思いますよ。
平澤
そうですね。
長戸
ただし、昔は打ち込みじゃなくて生ドラムだったから。今はなんていうのかな、正しいドラムの音よりも、打ち込みのドラムの音の方が人に響く可能性もある。ベースも本当のベースの音よりもシンセベースの方が響くから、質的にはどうかなっていう気はしますけどね。例えば、お寿司もそうだけど、江戸前の高い寿司が好きな人もいるけど、回転寿司が好きな人も世の中にはいるし、今の若者が何をよしとしているかということを考えると変わっているかもしれないですけどね。
平澤
うーん。
長戸
音色という意味では、確かに落ちていることは事実。だけど、例えば、「TWICE(トゥワイス)」(韓国で結成された女性9人のアイドル・グループ)とか聴いていると、曲もいいし、歌詞もいいし、アレンジもいいし、本人たちも格好いい。全部、「参ったな」っていう感じですよ。
平澤
「TWICE」ね。
長戸
しかも受けているのはみんな、同世代の女の子、小中高校生とかに受けてるから。僕はあれはね、ビートルズだと思っているんですけどね。
平澤
ビートルズ?
長戸
うん、新しい。今後も注目するよ。「BLACKPINK(ブラックピンク)」もそうだけど。韓流も初期の頃とはだいぶ変わってきたという意識はありますよ。
実際に「TWICE」見に行って、いやすごいなと思った。なんとかあれに勝つもの作らないといけないなと今思っている。
平澤
ああ、やっぱり反応するんですね。
長戸
いやもう「TWICE」はめちゃめちゃ反応しましたよ。アレンジも。僕、だいたいオールディーズのコレクターなんで、シングル盤も、あの曲のあそこと、この曲のあそこと、あの曲の要素をうまく繋いでいるなっていう風に捉えちゃうんですよ。
長戸大幸さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
平澤
あー、わかる。国籍の組み合わせもそうだし、うまいこと拾っているなって思いますね。
長戸
「Heart Shaker」っていう曲なんか、ダダダダダ、ダーダダンまで、完全にホール&オーツの「プライベート・アイズ」なんですよ。その次は違う、その次はなんとかって、ヒット曲のいいところをとってくっつけているようにしか思えない。うまいなーって思っているんですけどね。
平澤
僕、完全オリジナルの音楽って「無音」だと思うんですよ。だから自分の経験上、どう感じるかっていうものは多いじゃないですか。
長戸
はい。
平澤
だから、さっきの上がりメロ、下がりメロの話もそうだし、音楽を知っている人間がクリエイティブに関わるってすごく重要だなって思うんです。でも最近の音楽業界って、スタジオワークしたことのない人がディレクションをやって、ディレクションの仕事って何かって言ったら、時間管理とデリバリー頼むとか、そういうだけの人がレコード会社に多くなってないですか。
長戸
昔もそうでしたよ。僕「係の人」って呼んでたもん。
平澤
係の人ね(笑)
長戸
「アーティストの係の人」って呼んでて、そういう人は昔からいる。でも今は、特にアーティストが売れたりすると機嫌とれる人が一番いいし、アーティストに近い人とか、アーティストに影響力のある人の方が登用されていくので、やっぱり昔みたいな権限がなくなってきた、優秀な人が登用されにくくなっていますよね、今。
平澤
確かにね。
マスが崩れ、さらに多様化が進む中、
もう一回、インパクトの強いものが大事になってくる
平澤
ビーイングができて、レコード会社から見たいわゆる制作費は安くなったと思うんですよ。ある意味ね。
長戸
うん。僕、一番辛かったのは、まだ30歳くらいの時、最初にスタジオ作った時。
平澤
「バードマン」?
長戸
そう。まず「バードマン」。スタジオは狭くてもいいんだという考え方で。あんな狭い、6畳一間みたいなところで、BOØWY録ってましたから。ドラムセットも組んで。
平澤
六本木三河台公園の前の梶川ビルの・・・
長戸
2階。
平澤
確かにあの狭さは衝撃を受けました。
長戸
天高が3m以上あるビルを探すのに苦労して、機材も全部揃えると2億円くらいかかって。当時、1円も持ってないのに。
平澤
(笑)。大変でしたもんね。
長戸
家が金持ちでもないんで、どうしようか、どこかで借りようかっていうことで、結局、リースしたんですよ。僕が3億円の生命保険に入って、それを担保に。
平澤
へぇ。
長戸
逆にいうと、そんなことで貸してくれる会社もすごいですけどね。
平澤
わかりますけど、すごいですね。
長戸
そうそうそう。バードマンを作る前はレコーディングはいつも貸しスタジオだったから、ミックスダウンの場所が毎回変わる。同じ音が聞こえる同じ場所でやりたかったんですよね。だから、スタジオ作らなくちゃまずい、どうしても作りたい、って。あの頃が一番辛かったですね。でも、あれができてからだいぶ変わっていったかな。
平澤
あそこは小さいけど、面白かったですよね。だから音はスタジオの大小じゃないってことはすごくわかる。でもああいう感覚、普通の人にはないと思いますけどね。
長戸
そうそう。僕はみんながAURATONE(オーラトーン:1970年代以降、多くのスタジオで見られたミックス確認用のモニタースピーカー)で大きな音でミックスしている時に、僕はラジカセでミックスしていましたから。
平澤
そうでしたね。
長戸
だって客はあんな大きなスピーカーじゃなくて、ラジカセで聴くんで、やっぱりラジカセでミックスダウンするべきだと思って。
平澤
チェックはね。今はなかなか難しいですよね。
長戸
今はもうイヤホンでしょうね。
平澤
そうイヤホンですよね。しかも音楽配信、CDクオリティじゃないですからね。
長戸
(笑)。
平澤
さっきおっしゃった、寿司屋にもいろいろあるっていう話、かなり腹に落ちましたけど、ただそうは言いつつ、やっぱりこの20年で音楽業界はすごく変わっている気がするんです。これからどうやっていくのか、もしくはどう変わっていくのか、どうお考えですか。
長戸
音楽は終わらない、音楽は残ると思うけど、ツールは変わるでしょうね。
平澤
はい。
長戸
それから多様化していくので。
平澤
さらに多様化していくんですか。
長戸
なんで多様化するかというと、これまでメインだったテレビの方向性が中年層に向かっているんですよ。懐かしの音楽とかやっているけど、若い子にとったら懐かしくも、面白くも、何ともないと思いますよね。
平澤
観る子はまずいないでしょうね。
長戸
それはすべてテレビ局のいわゆるスポット料金のため。スポット料金の金額決めには、やっぱり視聴率が大事になってくるんですよ。視聴率に沿ってスポット料金が変わるから。為替の変動と同じで、スポット料金も今月のこの辺はいくらだ、と変わる。最近じゃ、ホテル代もそうだよね。先週の土曜日はこんなに安かったのに、今週の土曜日はなんでこんなに高いんだみたいな。昔はホテル代、日付でそんなに変わらなかった。
平澤
そうですね。
長戸
今は海外もそうだけど日によって全然値段が違う。スポット料金も同じように変わるから、テレビ局もそれに合わせて作っている。あれをやっている以上、若者はテレビに一切興味を持たないですよ。だからみんな動画サイトとか、そっちに走る。これまでコンテンツの基本となっていたマス・コミュニケーションといわれているところが崩壊しているので、もうバラバラ、果てしなく多様になるでしょうね。
平澤
うんうん、なるほど。
長戸
だからさっきも言った通り、3,000人とか5,000人の強いファンを捕まえて、ニュースにしていく以外にない、と僕は思っている。
平澤
そうした中で考えられる大ヒットって、どういう状態なんですか。昔の大ヒットって、割とわかりやすかったじゃないですか。これからは何が流行るんですか。
長戸
わかりやすくてシンプルでインパクトがあるもの。例えば、ヒット曲はいっぱいあっても、結局、記憶に残っているのは、地名と人名なんですよ。だから北島三郎は結局「函館の女」と「与作」、石川さゆりも「津軽海峡冬景色」と「天城越え」が残っているんですよ。とんねるずでさえ「雨の西麻布」なんですよ。だから基本的には地名とか人名。「SACHIKO」とか「順子」とかもそうだけど、そういった方が曲としてインパクトが残るでしょうね。
平澤
なるほど。
長戸
それと、ビートルズの初期のように「ヘルプ!」っていったら冒頭の「ヘルプ!♪」で、「Hey JUDE」っていったら「Hey JUDE~♪」なんですよ。「She loves you yeah~♪」は知っている、「Oh~ darlin♪」は知ってるけど、その後は知らないじゃないですか。だからそういうインパクトの強いものが大事になる。「Yesterday~♪」は知っているけど2番は「Suddenly~♪」なんだけど、「Suddenly」は弱いですよ、「Yesterday」に比べたら。そういうことが今後、人の印象に残っていく曲のタイトルになるんじゃないかなと思いますけどね。
>長戸大幸さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
平澤
なるほどね。確かにおっしゃるような奇跡の一曲って言ったら変ですけど、それでその人一生、いけますもんね。
長戸
うん。だから僕は「女々しくて、女々しくて♪」とか最高にいいなと思いますけどね、この5年くらいではね。
平澤
まあ、確かに彼ら、それ衝撃でしたからね。見た目もそうだけど。
ひとりの人間が臨機応変に
いろいろなことをすればいい。
平澤
社長のお話、本当に面白いですよね。
長戸
たまたま。実際、こんなに成功すると思ってなかったんだよね。いろいろ興味を持ってやってただけで。多分、映画で当ててる人とか、みなさんもそうだと思うよ。
平澤
わかります。エリマキトカゲのストーリーを撮った人も、星の砂を瓶に詰めて売った人もそう、たまたまだと言っています。僕もそうです。運命のいたずらかビーイングに行かず、たまたま新卒入社した任天堂はスーパーファミコンが空前の大ヒットで、その年ビーイングはB’zが大ブレイクですから。だけど、このままじゃ音楽業界に戻れないなと思っていました。だからフェイスを創業した。
長戸
(笑)。コロムビアでヒット出してください。何かやりましょうよ。何がいいですかね。もし、僕が平澤さんとやるなら「この子どうですか」じゃなくて、まず「こういうのやりませんか」から始めたら面白いと思う。まあ、天才的な子がいたら別だけど。そうじゃない限りは、「この子」はあくまでキャスティングで、「こういうのどうだ」っていう話を詰めてからやっていかないと。映画を作るような気持ちで、まず、どんなストーリーの映画を作ろうかが先、主役は後で探そうみたいな感じ。
平澤
企画ありきですね。
長戸
今、大半のレコード会社の人たち、出版社も新聞社もテレビ局もそうだけど、半分くらいは気づいてませんよ。斜陽産業であるっていうことをもっと本格的に考えるべきだけど。
平澤
本当にその通りですね。
長戸
本格的に斜陽産業と考えるとなると、まず自分の処遇を考えないといけなくなるから、みんな本気で向き合わないんですよ。斜陽産業だって気づきたくない。華がある時があったから。
平澤
おっしゃる通り、もう斜陽産業であることを前提に、どうしたらいいかということを本気で考えないと厳しいですよ。だけどいる人たちは、そうは言ってもできると思ってるし、無理だって感じていても可能性があると思っている。それでいてやっていることは、事務所を通じてか、すぐにデビューできそうなやつをライブハウスで見つけてきて、ちょっと化粧して出す。それでトントンかちょっと儲かって、儲かりましたっていうのが多い。それだと、コンテンツ力っていう意味ではもうなさすぎ。
長戸
巨人や阪神の監督もそうだけど、今年来年中に、結果出さなくちゃならないって感じで監督になっているじゃないですか。そういうことじゃない。LINEにしても、Amazonにしても、最初は大赤字ですよ。今やっていることがすぐにはお金にならないかもしれないけど、今活躍している会社は、そこから始まった仕事ばかりじゃないですか。ところが、今、業界っていうのは、今年に始めたら今年中に利益出さなきゃならない、来年には利益出さなきゃならないって。そんな風にやっている限り、うまくいかないと思います。
平澤
なるほど。
長戸
だから、僕、外食産業って構造的にダメだと思っているんですよ。なぜかと言うと、毎日、満席・満杯になった時のためにそれをこなせるだけの料理人、接客担当者が必要なんです。料理も売り切れましたでは済まないから、材料も十二分に揃えておかないといけない。ところが、雪の日も雨の日も台風の日もある。まったく客の来ない日もある。その変動が大きい。客入りを半分くらいに想定してスタッフィングしてたら、満杯になったら「どうなってるんだ、もう1時間も待っているのに出てこないよ」っていう客が現れる。従業員は大変でてんやわんやしていて「こんなところ、やってられない」って、客も従業員も不満を持つ。逆にガラガラの時は従業員は暇すぎて時間を持て余す。そういうことを考えると、外食産業は通常のような儲かり方は絶対に難しいと思うんですよね。
平澤
ああ、なるほど。
長戸
だから、音楽業界も絶えずこれだけ人がいますじゃなくて、もっと臨機応変にできるようにした方がいい。日頃はカウンターに立っているけど、今日は音楽やってますとか、もっとそういう人たちが現れないと。雑誌も同じ。雑誌は雑誌だけ、音楽は音楽だけ、何は何だけ、みたいな感じがあまりにも多くて。今、ソニーもavexも人が1,500人位いるけど、レコード会社なんか、300人くらいでいいんだよ。人が多すぎる。
平澤
いずれレコード業界自体の統合淘汰が進むという話もありますけど、多分、そうなっていくんでしょうね。今後、面白くなって来るジャンルとして、僕もいろいろ考えているんですけど、その一つがIR(統合型リゾート)。IRというとギャンブルに話題が集中するけど、世界のカジノ市場が約20兆円、日本のパチンコ市場は約20兆円。すでに日本はどれだけギャンブル好きなんだっていう話ですよ。一方で世界のカジノ、統合型リゾートは何をしているかっていうと、ラスベガスもやっぱりエンターテインメントの存在が大きいじゃないですか。
長戸
うん。
平澤
でも日本にIRが来たときに何を提供できるかっていうイメージがなかなかないんですよ。日本人って、ショーでは何を観る、エンターテインメントでは何を観るというのがないので、それを作っていかないといけないというのが、今僕が抱えているテーマです。その際に、さきほどの「TWICE」のように、同性に受けるとか、音楽的に少し変えると上の世代にもいけるとか、親子で行っても楽しいとか、たくさんのヒントがある。ラスベガスにもそういうエンターテインメントがある。だからそうしたものとか、それこそショーとレストランの組み合わせとか、面白いんじゃないかと思っています。スペイン イビザ島の食とエンターテインメントみたいな。ショーやっている人が給仕したりね、立体感があってすごく面白い。イビザは10月で終わりですが、その演者たちは世界を回ってる人もいる。そういう人たちをプロデュースする集団もいるんですよ。
長戸
なるほどね。だからこれからは多分、従業員は仕事を掛け持つことが大事になると思いますよ。うちももう、エンジニアだけどマネージャーだとか。
平澤
(笑)。それいいですね。
長戸
この間、訊いたら、そもそもマネージャーとして入社したんだけど、エンジニアにされたって言ってましたよ。
平澤
それ本当ですか(笑)。
長戸
だから、エンジニアとして入っていない人が、エンジニアとして機能して、今、マネージャーの仕事をしている。そうやって、もっといろんな仕事をさせていかないと。今はあまりにも動きがなさすぎる。
平澤
なるほど。
長戸
マネジメントもやれるし、制作もやる、ディレクションもやる、スタイリストもやる、ファンクラブの会報もやる、あれもやる、これもやる、全部やるっていう風に、もっといろんなことやらせる方がいいと思う。
平澤
やっぱり会社って、組織論から入るとそこに人が固定されちゃう。本当はそれが一番会社が死んでいく基ですけどね。なかなか変えていくのは難しいけど、僕が入っていくか、外から何か違う力が働くか、こんな風にやるって見せるか、それらの組み合わせが必要ですね。
長戸
ところで、うち今、不動産の仕事、すごくいいんですよ。なぜいいのかというと不動産市場がいいからなんです。3年か4年くらい前までは不動産の仕事はよくなかった。それは市場がよくなかったから。何が言いたいかっていうと、今、うちの会社は音楽で食ってないんです。うちは、「いい時だけやる」っていう発想だから。本来、音楽もそうで、ヒットが出ている時だけ、そのヒットに対する音楽をやればいい。出ない時はもうみんなやめるっていう風にやっていかないと。
平澤
(笑)。ちなみに社長はどこまで見てるんですか。全部ですか。
長戸
いや僕は、基本的に自分が興味があるお金とか、興味がある音楽とかを見ている感じですね。
平澤
なるほどね。よく任せられますね。気になったりしませんか。
長戸
うん。気になるっていうか、うまく言えないけど、あんまり立派な社長じゃダメだと思いますけどね。こんなこと社員の前でいうのもなんだけど。
平澤
(笑)。
長戸
愛されキャラにならなきゃダメでしょ。僕はよくものを忘れるし、よく失くすんだけど、そういう風に見せている。だからよく「なんでコピーしておかなかったんだ」と怒るんですよ。「忘れるに決まってるじゃん」って。みんなもわかっているから、そう対応してくれる。
平澤
ウケる。僕は真逆ですけどね。性格的にいうと(笑)。
長戸
学校の先生じゃないけど、あんまり立派なのも大変だなと思うのよ。失望させた時に「えっ、あの人が」ってなるじゃないですか。だったらもう、常にいっぱい失望させておいた方がいい。「えっ?あの人がそんないいことしたの?」みたいな方がいいじゃないですか。
平澤
(笑)。なるほどね。
長戸
あんまりいい人でいると、9割いいことしていても、1割悪いことしただけで全部悪く思われるけど、9割悪いことしていたら1割いいことしだけで評価される時あるじゃないですか。
平澤
なるほどなるほど。じゃあ、僕も9割悪いことしよ(笑)。では、何か具体的に一緒にできるようにしていきましょう。
長戸
そうそう、なんでもいいです。
平澤
いずれにしても社長がプロデュースしているライブは、どんなことしてるか、最新をぜひ観たいな、と。
長戸
ぜひ。次回は11月17日です。堂島リバーフォーラムで15時半から無料ライブをやりますので。
平澤
今日は長時間にわたり、ありがとうございました。本当にいつも勉強になります。
長戸
いえいえこちらこそ。じゃあ、また飯、食いに行きましょう。
>長戸大幸さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
「GIZA Aスタ」
長戸大幸さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創

長戸大幸(ながと・だいこう)さんプロフィール

音楽制作会社ビーイング創業者であり、LOUDNESS、BOØWY、TUBE、B'Z、T-BOLAN、B.B.クィーンズ、WANDS、DEEN、ZARD、大黒摩季、倉木麻衣、GARNET CROWなど数々のアーティストをプロデュースし、ミリオンヒット曲を生み出す。今の音楽シーンに少なくなった楽曲重視の質の高い作品を送り出すために、現在新たなアーティストのプロデュースを積極的に行なっている。